#07 うつくしい、身体との旅路 | ふたたび、あたらしい朝を生きることについて 

第七夜

うつくしい、身体との旅路

この身体とは、このままずっとわかりあえないのだろうな、と諦めていた。
運動がきらいだった訳ではなくむしろ、仲良くなりたいと切望していたけれど、つくづく才に恵まれていなかった。

公園で同年代の子に混じって駆けっこをするとかならず周回遅れになった。うまく受身が取れないので、膝小僧や顔は擦り傷だらけだった。水泳の授業では、あまりに手足に推進力がなく、また、すぐに呼吸がうまくゆかなくなって溺れそうになるので、身体を手放すように水面を漂い、つんと塩素が香るプール・ブルーの水中でぽこぽこと立ち昇る気泡を眺めていた。

音楽をあいしていたのでリズムにあわせ、身体を動かすことはたのしかった。けれど後になって、記録映像をみてみると、公園時代からなにひとつ変わらずに、周囲よりワンテンポ遅れた振り付けで踊る、かなしいくらい不恰好なわたしが映っているのだった。思春期には羞ずかしさと、いたたまれなさとがこころの大半を占めるようになり、いつからか、人前で身体をうごかすことをぱたりと止めてしまった。

わたしが、その旅に出ようと思ったのは、ポルトガル・スペイン国境近くの岩石の村で、ある旅人から失くした杖の話を聞いたからだった。その道について、誰かが物語るのを聞くのはその時が二度目だった。なぜだか呼ばれているような気がして、帰宅するや否や、次の旅の準備をはじめた。当時一緒に暮らしていたルームメイトや大家さんは心配していたが、道中でかならず連絡することを約束し、家を出発した。両親には秘密だった。

何が必要なのか、何があれば困難な旅路を安全に終えられるのかは皆目見当がつかなかったが、ひとまずは寝袋と着替えに保存食、雨具が納められたバッグパック、思い切って新調した歩きやすそうな靴がわたしの装備品だった。

遠距離、と云える移動はせいぜい川向こうのショッピングモールまでだった当時のわたしにとって、一日に20kmから30kmの道のりを二週間に渡って歩き続けることは、事前に想像できる世界の範疇をおおきく上回っていたため、あまり心配していなかった。

意外にも、初日は足取り軽く終わった。しかし翌日からは、文字通り頭の先から足の先まで、筋肉という筋肉、骨という骨が軋み、痛みで悲鳴をあげるようだった。バッグパックは重く、時間が経つほどつよく肩に食い込むようだったが、幸運にも予備の着替えを初日に紛失し、少し身軽になっていたわたしは、あきらかに不要とわかった保存食を道で出会うひとびとと分け合いながら、本当に必要なものと必要でないものをふるい分け、自分の欠片を残すようにあちこちへと置き去りにしていった。

日没までに、目的の宿に辿りつけない日が何度もあった。赤茶けたメセタの砂埃が舞う中、うしろからやってきた旅人たちがどんどんとわたしを追い抜かしてゆき、やがて誰もいなくなる。わたしは、すこし泣きそうになりながらも足を引き摺り、先へ進むのだった。そのような日に限って、街を取り囲む城壁はどこまでも長い。くたくたに疲れ果て、宿のベッドへと倒れ込む一日の終わりには、この痛みではもう一歩も進めない、と思いながら眠りにつくのだった。

それでも朝は変わらずにやってきて、旅人を温めてゆく。
すこしでも早く、その日の終着地点に辿りつきたいわたしたちは、夜明け前から、あたたかなベッドを、寝袋を、宿を後にし、先へと歩きはじめる。目覚めるたびにわたしは、自らの身体がもっていた力に驚かされる。ひとたび荷を背負えば、杖を前につけば、あんなにも痛んでいた足を前に、前にと動かしつづけることができるのだった。

一日のどこかでは、荷を軽く感じ、足も今までよりずっと速く動かせる時間がたびたびわたしの許を訪れた。今になってみると、それは一種のランナーズハイだったようにおもうが、その時のわたしは、まるでだれかから贈られた祝福のようにそのかろやかな瞬間をあいした。

歩く、食事を摂る、人と話をする、思考する、休む。

これまで、生活を彩ってきた行動の数々が削ぎ落とされ、シンプルな行為に収束してゆくのにしたがって、目の前の分かれ道で進むべき方向、足を踏み出す位置、食事や休みをとるタイミング、人との会話、無意識に選びとってきた行動のすべてが、自身によって行われる数かぎりない選択の上に成り立っていることが明らかになっていった。

正解も、不正解も、依然としてわからなかったが、わたしのいのちが、わたしの選びとる無数の選択に預けられていることに変わりはなかった。一週間が経つうちに強靭なバネを宿しはじめた脚は、険しい峠道でもわたしの選択を支えた。思いもかけなかった身体の強さ、しなやかさを知り、戸惑うのと同時にわたしは、かたくなで思い通りにならないと放り出してきたこの身体の可能性を封じこめてきたのは自分自身だったのかもしれないと、かつて感じた羞しさとは別種のはずかしさに襲われたのだった。

その旅が、どのようにして終わったのかは、またどこか、別の機会にお話できたらとおもう。

それからの話をするなら、わたしは習わなかったダンスの代わりにヨーガをはじめたということ、腕を持ち上げ円弧を描くとき、まるでウィトルウィウス的人体図のようだとおもうこと、均等を保つよう身体を支え、床を踏みしめるたびあの旅の峠道が脳裏に浮かぶこと、そしてつめたい床に横たわるとき、あたたかな血潮の流れるこの身体とわたしが、ふたたび出会っているということだろう。