#06 最果ての夢は真昼にやってくる | ふたたび、あたらしい朝を生きることについて 

第六夜

最果ての夢は真昼にやってくる

人びとに押し潰されるようにして電車に乗りこむ最中に、このまま乗車してゆくとどこまで行けるのだろう、という考えがわたしをつらぬくことがある。そうなると最後、その解をたしかめなくてはいられない気持ちになり、気がつくと、目的の駅を過ぎ、見知った名、見知らぬ名の駅をどんどんと通りすぎ、田畑に神社、民家、また田畑、田畑と景色はどんどんと長閑になってゆき、山が近づき、日が高く昇る頃には、わたしは座ったまま終着駅に到着を果たしている。たいていの場合、終着駅はさがしていた場所ではないし、ホームには、どこか別の土地へと向かってゆく電車の乗り換えの案内看板がかかっているので、明確な終わりといったものを見つけられないまま、すごすごと引き返してくることとなる。

そうやって、どこかを目指している間だけわたしは、
この世界のなにものからも守られた幸福な獣になったような気持ちでいられる。

Somewhere, but not here.

記憶にないふるさと

夏の草原、終わりの岬、南十字星
さいわい、と口ずさむように発話するさいはてのありかに砂の海

森の切れめ、日の差し掛かる硝子窓
傷の付いた丸い石

忘れられてしまうことを誰よりも恐れながら、

一刻もはやく最果てに辿り着き、そこでなにもかもを忘れたがっているようにも思う。