#02 くさばなはくさはらへ零れてわらう、 | ふたたび、あたらしい朝を生きることについて 

第二夜

くさばなはくさはらへ零れてわらう、

学生時代を終え、周囲の友人が不時着した社会に足並みを揃え、働きに出る道をまたわたしも選択した。

冷たいコンクリート製の建物の中でなんとか体裁を整え、めまぐるしく移り変わる世界に置いてゆかれないようにと日々を送るようになった。朝は日の出とほぼ同時刻にアラームをセットし、夜はくたくたになるまで働き、なんとか身体に食事を押しこみあとは、何もできず布団に倒れこむのが常だった。

そのうちに、つむじがいつも灼ききれそうにあつく火照っていることに気づいた。やがてその熱がすみずみにいき渡ってゆくのに従い、かつて、たしかにわたしを色づかせていた数々の祝福からは遠ざかっている直感があったが、元には戻りようがなかった。

いつの間にか幾度目かの春が過ぎた。

梅雨が明け、雨が降らなくなるのと同時に、わたしの睡眠時間はどんどんと永くなっていき、昼と夜との区別が付かなくなっていった。どんなに周囲に止められたとしても、どこへでも駈け出していった身体と、たましいはとてもしずかに燃えていて、どこかへ忘れてきてしまったようだった。

或る正午、夏のひかりの中で目覚め、なぜだかはわからなかったが、いまのわたしが必要だと感じる場所へ行きたいという気がした。

それは、“しむらのはなれ”、染織家の志村ふくみさんと次代を受け継ぐ人々によってひらかれたブランド、アトリエシムラのショップ兼ギャラリーだった。

志村ふくみさん。あこがれを込め、その名を口にするときわたしは、早春、まだ綻ばぬ蕾を一身に湛えながら空を仰ぐ桜の、枝々から炊き出された匂いたつような赤と、伊吹山の頂で丈高き刈安に囲まれ、黄金色のただなかで顔を綻ばせる彼女とをおもう。この目では、実際に彼女が草を摘み、絹の紬糸を染め、機へとその身を向かわせる様を見たことはないのだが、大岡信さんの随筆のなかではじめて出会ったときより、彼女の名とともに、季節とともに移ろい、零れさく草花のいのちを夢みる。

彼女の“はなれ”で、草木染めや織りに向きあうことはわたしにとって、日々の暮らしからあまりにもとおく、遠くへと離れてしまったくさはらとの親交を取り戻す契機であったのかもしれないと思う。

はなれの一階にはショップがあり、二階では季節の草花を炊き出して作った染料で絹糸やストールを染め、その日に染めた糸やこれまでに参加した人びとが染めた糸を機に通し手織りをするワークショップがひらかれている。

わたしが、はじめて参加した日は川辺から採取された葛が鍋いっぱいに炊き出されていた。湯気をあげ、たゆたう染液は光の加減でエメラルドにも金茶にも見え、ゆびさきを差し入れると薬湯のように柔らかいのだった。まっさらの絹糸はしっとりとつめたく、泣きたくなるようなやさしさを帯びたかたまりとしてわたしの手のひらに重みを残しながら、染液につけるとみるみるうちに水を吸い込んでゆく、湯がかき混ぜられ、ちゃぷちゃぷと小川のせせらぎのような音、あおあおとした葛の香りがたつなかで、わたしたちはゆったりと揺するように、絹糸をのびのびと泳がせてやる。頃合いをみた合図とともに日当たりの良いベランダに出て、風に吹かれながら糸を腕の間に広げ、はたはたと乾かす。また染めへと戻る、ベランダに出て乾かす、また染め、乾かし媒染液に浸す。その幾度かの繰り返しを経て、ましろであった絹糸はオリーブ色とも月光のいろとも名付けられるような、形容しがたい薄緑色へと染められてゆく。

ひとつの工程を終えるたびに、指とゆびの間から、いのちと、移ろい過ぎ去ってゆくもの、ことばがはじまるまえの原初の感覚がやってくるようだった。

わたしは、忘れ、取り戻したいとねがっていたのはああ、この感覚だったと思いだす。

それからは季節が巡るたび、秘密基地に向かうような心持ちで、しむらのはなれに通っている。そのうちに、わたしは自宅にも一式の道具を買い揃えているのであった。

家の周縁で草花を摘むうちに、よく見知った道を歩くときにも、待ちきれないとばかりに垣根から伸びゆく新芽のひとつひとつへ、順々にゆびを触れさせながら歩いてしまうようになった、見慣れない木々の枝が、葉々がこちらへと枝垂れかかるのをみつけては名を調べ、それをくちに出し、どんな色が現れるのだろうと想像する。どの植物も手折るときには手のなかで燃えたつようにかおり、はっきりと、生命をもってわたしを押し返すこと、灰色にも、みどりにも黄金色にもそれぞれに紅や青み、翠をうっすらと帯びる瞬間があり、ひかりの具合では銀糸にも金糸にもなること、幾千の、花の降り積もる地が手を伸ばせば、こんなにもすぐそばにあることを日々、植物からわたしは教わっている。そして春は、きょうもわたしを野にいざなうのだ。