第三夜
不滅の炎について
消えない炎がある、と。
はじめに、その話を聞いたのはいつだったろうか。
こうして、また春がやってくるたびに、五年前の春にひとり、スペインのレオンから雨のガリシア、サンチャゴ・デ・コンポステーラを目指す巡礼路を歩いたときのこと、そこで出会ったひとびとのことを思いだす。
道の途中で出会い、一日の終わりにビールを奢ってくれた、わたしの髪がくしゃくしゃなことを見かね、櫛をくれたドイツ人のおじさん。
もう数え切れないくらいここを歩いているという彼は、普段はカジノで働いていて、日々の糧を稼ぐために、家族のために働いているけれど、心のどこかにはいつも、消えない炎があるといった。心の、片隅にその火は絶えず焚かれていて、あるとき、まるで炎が燃えあがるようにふたたび、この道に行きたくなって、いてもたってもいられなくなり、旅支度を整えている自分に気がつくと言っていた。
雨と、雪の入り混じる峠で、夜に出会ったひとは、わたしが近くのカフェで無理を言って分けてもらった玉ねぎから作ったスープを啜りながら、僕は、うまれたときから巡礼路の上にある町に暮らしていてね、まだちいさい頃から毎朝、起きると部屋の窓を開け、家の前の通りを横切って、どこかを目指して歩いてゆく旅人たちを見ていたんだ。やがて大きくなって、それがはるかサンチャゴ・デ・コンポステーラを目指す旅人だと知ってからもいつか、その道を歩きたいとねがっていた。ついぞその機会に恵まれなかったけれど、転職するタイミングでやっと時間が取れたので、これから百キロ程を歩くのだ、とおしえてくれた。ほんとうのことを言えば、自分の生まれ故郷から最後まで歩きたいのだけれど、それはまたいつか、と彼ははにかんでわらっていた。
妻を亡くしてから、ローマ、サンチャゴ・デ・コンポステーラ、ローマとずっと往復を続けているという老人にも道の途中ですれちがった。ほら、野宿もできるよ、と言って見せてくれた荷は彼より巨きかった。これからローマに行く途中で、はじめは妻のために歩いていたけれど、今はもうわからないと、この旅がどこまで続いていくかわからないと言っていた。
ながいこと、彼らの物語を抱きしめたまま、なにもことばにできず、ただ息をして、いきてきたように思う。
そのうちに草木を染め、織ることをあたらしく知ったわたしは、この春にはじめて訪れた、アルスシムラで歴代の卒業生が残していった卒業のことばのなかに、かつて見た炎が幾つも、幾百も点っているのを目にした。
一度出会ってしまったらさいご、もう、戻れないとわかっているのにすすんでゆかずにはいられない道があり、一度はそこから逃れるように、目を伏せて、見ないようにして通りすぎようとしても、あるとき炎は煌煌と燃えあがる。
まだ、うら若く、あまりにも傷つきやすい精神、或いは、徐々に身体を蝕んでゆく老い、或いは環境に仕事、たいせつなひとびとがわたしたちを離してはくれない、けれど、こころはいつも姿を現したがっていて、そのことにある日気づいてしまったら、縺れ、転びながらもその一本の道を進んでゆかなくてはならない。