第九夜
ふたたび、あたらしい朝を生きることについて
生きていると、ときどき、ひかりが差すような瞬間があり、内からあえかなひかりが発せられているものや、そういったひとびとと出会うことがある。
「手のひらでそっと土を握り、土のなかにあるかたちに沿うようにして、重力をかたちどるように、時間を結晶させるように、ぼくは作品をつくっている」
友人がそう話すのをきいたとき、一本の木のなかにはじめから在る仏を彫りだす仏師の話を思い出していた。
夜を越えながら、わたしたちは信じるものの話をした。
ひとびとと一緒に紙をちぎりながら、もしかしたら、最初からねむっているのかもしれない獣を思い浮かべる午后があった。
旅先から、祖母から、この世界のあちらこちらより手紙や、葉書が届く。ちいさなスペースをいっぱいにするように文字が書きこまれている。すこしばかり曲がっていて、たどたどしい、そのひとのかたちをした文字が散らばっている。ひかりのようにうれしさがやってくる。そっと筆跡をたどる。
つくりたての詩を、はじめて人前で読み上げたとき、額が、ひかりに触れ、胸のなかをごうごうと風が吹き抜けるようだった。
友人の創作の場で、その日はじめて出会ったように、幾度も出会ってきたように、目の前のひとと指先だけを触れ合わせ、身体やたましいをうごかし、変わらないことばを発しながら、心臓がことりと動くのを聴いた。
一枚の絵をまえにし、はじめの、ひと刷毛を思いうかべる。
震え、ふるえながら集まってゆく羊の毛を指先で、手繰り寄せるようにして糸にする。
思いだすように食事をつくる。
土を、かたちをつくりだした熱い炎を、たどるように器に触れる。
春の、はじめより、一層あおあおとみどりを深めた木々と、挨拶を交わす。
うつくしいとおもうものをつくること、ことばを書くこと。
いくつも、いくつもの灯が、繰り返し、灯されることを、わたしはなぜだか知っている。
そのそれぞれが、各々の道をたどり、やがて辿り着くための遥かな、道行をおもう。
そうやって歩み続けることは、まるで、祈りのようだとおもう。