Castelo Branco・Monsanto

美を愛することに野に出てて労働すること、それらはすべて、冬の朝に集積される|Castelo Branco・Monsanto

朝焼けの中、川を遡るようにして鈍行の列車が野を駆けてゆく。

穏やかな、茜色に染められた車内にいる人々はみな、夢みるような瞳をして遠景を眺めている。

主人が座るため、椅子がひとつだけ置かれた土産物屋の片隅で手に入れた地図をひろげながらひとつひとつの駅を指で辿る。しばらくは川に沿うように列車が進んでゆくことを知り、息をひそやかに吐く。昔、Le Grand Bleuという映画で、太陽が燦々と照りつけるとき海は透けるような青ではなく深青に変わることを知ったが、眼下に広がるテージョ川もまた、深い青をたたえていた。

野山はけぶるような、薄緑と黄と樹木の表皮がそのまま現れたような茶が混じりまざってえもいえない色を醸している。家の書棚に古くから置かれていた絵本のなかでモネが、ピンクやモーブをひかりのいろとした所以が不思議であったが、たしかにここでは光に、はじめからそれらの色が含まれていたことを知る。

もう十二月、冬が訪れるころだというのに大地には、恵みの気配が息づいているのだ。

寝転べばふかふかと音をたてそうな色をして、微睡んだまま春の夢をみているのかもしれない。風も、この地の上を走るときは息をとめるようで音もなく、梢が揺れる。

わたしはそれを、走り行く電車と一緒になって眺めている。

永遠とつづくようなオリーブ畑に列車は入る、工場の煙に覆われた街を通り過ぎる、喧噪を忘れた闘牛場を横目にどこからかポトフの香りが届く。わたしは。水でくちびるを湿らせ、マフラーとパンとでほのかにふくらんだ鞄を枕にして、他の乗客と同じようにしばしの眠りにつく。

ふいに、肩をたたく人の手で眠りがやぶられる。聞けばもう、終着地であり乗り換え駅のEntroncamentoに着いたらしい。

さて降り立つとかの紳士が乗り換えのホームまで先導し案内してくれる。礼を言うと微笑みを浮かべ、片手を挙げこたえてくれた。どこかからりとした、朗らかな優しさがこの国の人々の気質であるようにおもう。

もう一眠りすると電車はいつのまにか最初の目的地へとすべりこんでいた。支度を整え、見知らぬ街へ足を踏み出す。

わたしは美しい庭と、目的地へと連れていってくれるバスの停留所をさがし朝のCastelo Blancoをそぞろ歩く。

この静かな街に東洋人はめずらしいのかしずしずと眺めるひとびとの視線を肩に集めわたしは髪をなびかせて歩く。

すれ違いざまに帽子をとって挨拶してくれたおじいさんに道を尋ねるとバスの停留所がみえる地点まで微笑みながらそっと導いてくれた。まだ、随分と時間があるのでどうしようか思案しているとこのまちに来たなら、ぜひ寄ってもらいたい場所があるのだと云う。

それならと彼について歩いてゆくと、Eu não escrevo em português, eu escrevo eu mesmo, わたしはポルトガル語で綴っているのではない、わたし自身で言葉を紡いでいるのだと詩の一節が記された自動ドアのそばに立ち止まる。

この図書館はわたしの街の誇りだよ、もし時間があるなら寄ってほしい、と帽子をとり素敵に熟成された微笑みを浮かべ彼はまた、やって来た道を引き返してゆく。

その背をわたしは、いつまでも眺めていた。

図書館はなるほどうつくしかった。本の一節や詩の一節が記された壁を辿るようにして、カメラを向けようとしてたしなめられながらも廊下を進むと、日溜まりのなかで眼鏡をかけ頁をめくる若いひとや廊下を影のようにあるいてゆくおじいさん、おとぎ話から抜け出してきたようなおはなし室の扉を天使のような子が押しあける、母親はゆるゆると髪を振って彼を手助けする、そのような光景に出くわした。

すっかりと眩しくなった戸外に出て美しい庭を目指す、十二ヶ月の星座や生死、希望や幸福、哀しみに季節をかたちどり宿らせた像が庭のあちこちに並べられ、あおあおとしたみどりがそれを迷路のように取り囲む。

ひとひとりいない美しい庭はうつくしい庭として佇んでいたが、わたしの心を捉えたのはその横につくられていた市民公園だった。うつくしく整備され塵一つない園内、芝刈りをする音、ベンチで読書をする若い女性とその横で揺れている葡萄の木、池は底が見通せるほど透き通り風もまた清らかだった。

教会に隣り合う音楽学校の横の道を歩きながらわたしは、先程のおじいさんの淡い白髪を思いだしていた。先人がつくりだしてきた文化や美をそのものとして愛し貴いもの、善きものとしてたいせつに守り、誇りとするポルトガルの国民性をおもい、どこかで、いつからか豊かさというものを我々は思い違いしてしまっているのではないか、と自問する。

わたしは息をつき、風が頬を撫でるのをそのままにして、熱いものが胸の内を通りすぎるのを待つ。

バスの停留所の軒下で栗を売るおばさんに町中で出会った犬が戯れ抱きつくのを見て微笑む、無事にチケットを手に入れ、次なる目的地を目指す。

バスには、わたしともうひとり、買い物袋を抱えたおばあさんしか乗っていなかった。

列車の色付けられた窓から眺めたものとはまた違った色合いを昼下がりのオリーブ畑は見せる、名も知れない村々の間を、バスは飛ぶように駆けてゆく。

オレンジがたわわに実った木の映える庭々の香りは後ろへ、後ろへと残されてゆく。

ところどころに南国の色のする木が植えられるのをみる、そしてそれらが遠くなってゆくのもぼんやりとながめているとやがて、ごつごつとした岩が、あたりに横たわる地へとバスがやってきたことを知る。

モンサント

目を細めれば遠くにみえる岩山の上で、風を受け止める村をみつけることができた。わたしははやる胸をおさえ、くたりとしたシートベルトを握りしめる。

バスは無骨な山を高く高く、ぐるぐると迂回に迂回を重ね登ってゆく、おもむろに車体は動きを止め、扉が開く。マフラーを巻きつけ飛び降りると冷気が胸に飛びこみ、荒い出迎えをしてくれる。

陽がすこし、傾きかけているのをかんじすぐ、そばにあったカフェに飛び込み、案内所の場所を尋ねる。早朝にしか街行きのバスに乗り込めない旅人には、宿が必要だからだ。

閉ざされた扉の前でなかなかやって来ない案内所の住人を風のなかで待ちながら、ハイキングコースと色塗られた地図に触れ、未だ見ぬ山頂の城を夢想する。

案内所の住人が朗らかにあらわれ渡された紙に書かれた最初の番号を祈るように押し、電話をかける。

家主と落ちあうため、先程のカフェを目指すが道に迷ってしまう。

途方に暮れていると、通り過ぎた車がまた戻ってきて中から、さっき電話してきた日本人か、と呼びかける声があるので手を振って応える。待ち合わせのカフェはまだ先だけれど、そこが君の宿だよと微笑まれ、後ろを振り向くと紙に書かれた家の名が表札にしるされていることにようやく気づき、声をたてて二人でわらう。

吹き抜けの素敵な一軒家の鍵をわたされ、君が今日の女あるじだといわれ、嬉しくなってくるりとひとまわりしてみたりする。

ふかふかとしたベッドにすこし、疲労の貯まったからだを横たえながら村の地図を広げ簡単な計画をたてる。それだけなのかと驚かれた荷物を部屋に残し、山頂を目指す、再び閉ざされてしまった案内所を横目に、夕暮れの坂を登ってゆく。

岩

白壁の家々のあいまに巨大な岩が横たわる。さぞかし不便なことだろうと岩を目で辿ると、打ち込まれた杭の先に街灯がともされていたり、岩自体が壁として下界を遮断する役割を担っていたり荷物置き場になっていたりと、意外にもひとと共生しているのを知る。岩があるからそれを避けて家を立てる、土台に岩が含まれてしまったためにしぜんと傾き欠陥住宅となってしまった家、岩があるために掘ることが止められてしまった更地なら何度も目にしてきたが、岩があるからこそそこに人が住み、生活の一部としている姿をこの村では脳裏に灼きつけた。

先をゆく二人組の連れている犬が、岩に囲まれる昏がりでうなり声をあげる。

闇のなかで応えるうなり声を耳にして、心臓がとくとくとうるさく鳴る。ポルトガルには鎖に繋がれぬ野犬が多く、その多くは穏やかだが興奮してしまった場合はわからない。足がすくむが、引き返せない道なので遠回りし、岩山をのぼるようにして先を急ぐ。巨岩がそびえ、その向こうでは村の象徴でもある銀の風見鶏が、屋根や白い壁が、赤く夕暮れに染まるのを眺める。城を、訪れるのは、翌朝にすることとして宿への道を急ぐ。

透きとおった月のひかりは夜道をさえざえと照らす。

カフェで無理をいってつくらせ外へと持ち出した温かなサンドイッチが凍えたゆびをほどく。

ベッドサイドのあかりで、リビングに置かれていた旅人たちのことばとつくられてから25年経ったというMonsantoのラジオ局の本を読む。

そこには祝辞として、ほとんどの局が流さなくなってしまったポルトガル本来の歌を変わらず流し続けてくれてありがとうとの言が遠いカナダから寄せられていた。

なくては生きてゆけないものを生活必需品とするなら、その外側には、なくても生きてゆけるものがある。

わたしは、その外側からこそ、日々の潤いがうまれ生への喜びが生まれるのだと思う。

祝辞を送った彼にとってはそれが故郷の音楽だったのかもしれない。

わたしにとっては、それは言葉であり文学であり、いとしい感覚の記憶であったり故郷を思わせる食事からやってくる味の記憶だ。

人を、ひと足らしめるために。

必要としているものを、必要としているひとに届けるしごとの尊さを、底が冷たい夜におもう。

明くる朝、未だ暗い室内で支度をしていると、もうお目覚めなの、早いのねと下の階から声がする、家の主が奥さんと、朝ごはんを運びに尋ねてきてくれたのだ。

農園で陽の恵みをうけた梨やオレンジ、林檎といった果物にオムレツ、自家製のチーズやジャムやハムをあさごはんとしてからだに詰めこみ、午後の約束をした後は荷物をまとめ彼らの家の前まで一緒に登ってゆく。

散策をつづけると昨夜読んだラジオ局の扉をみつけたのでつい扉を叩く。

やさしい目をしたおじさんが放送中だから手短かになってしまうけれどと部屋のなかを案内してくれた。マイクが備えられたブースをとり囲むようにCDの棚がそびえ、その周りには机とうずたかく積まれた雑誌や本に、原稿など様々な紙束。白い壁を透過する朝の陽もこの部屋のなかではセピアがかったような色をして微睡む、わたしはその場所が居心地のよいひとつの、城のようだとおもった。

ラジオ

道を上へ、上へと登ってゆくと若い夫婦とその家族が古びて屋根もなくなってしまった家屋に木材を運び入れ、自らの手で改修するのを、その横のひなたで子猫がひとりあそびする光景にでくわした。

どんどん人口が少なくなってゆき、若者たちは街へ仕事を探しにゆき、私たちだって父母が居なくなったらどこか遠くへ越してゆくだろうと、齢78にもなる主人がつやつやとして語っていた様子を反芻しながら。下界から遮断され時間が止まり、忘れ去られてしまったかのように滅びの途にあるこの村も、コルク樫の根もとから枝々が芽吹くようにしずかに、滅びと再生を繰り返しながら生き続けてゆくのかもしれないとぼんやりとおもう。

パンパスグラスが陽に照らされてきらきらとひかる金色の高原をぬけると城には風だけが暮らしていた。城壁の上に横になり、遠い昔ここからこうして景色を眺めていたひとびとを思い描くがうまく形にならない。

風が、目を乾かし、髪を攫ってゆこうとする。

遥かスペインがぼやけて滲む。

午後は家の主が山を降りた村まで連れていってくれた。

どんぐりが積もる広場では五月になると祭りで人々の踊りに花、ごちそうの香りとでいっぱいになるのだと語る。そして九年毎に収穫されるコルクはその祭りのあとのものが一番出来がいいのだ、と2010年の収穫をあらわす0が記された木の幹をぽんぽんとやさしくさするように叩く。

ローマ時代には日時計として使われていた教会の壁のなかに埋め込まれた石をみながら、時間を知りたいと二人で熱心に説明を読む。長い時間をかけたのにも関わらず肝心の使い方はみつからず、どちらにせよ曇りだからみえないねなどといいわけをつけてふたりでわらう。

捨てられた赤子を山羊が育てたことでつけられた名を持つ村をあとにして、彼の農園へと車はむかう。

ただの更地のようだった土地を父親から引き継いでから、畑も、倉庫も、アヒルや豚、犬小屋に井戸、石釜に水をひくポンプ、なにからなにまで全て自分と自分の家族がつくりあげてきたと満足そうにわらう。

彼は農園を歩きながら猟犬の育て方を、次の日にやってくるかもしれない久しぶりの雨のため、枯れた葉をどかしながら葡萄の育て方を、倉庫で年季の入ったひとつひとつの機械を指で指し示しながらワインの作り方、余った葡萄の皮からなるブランデーの作り方を教えてくれた。差し出された壜のなかに溜められた夕焼けのように赤く、濁りなく透き通ったブランデーは遠い秋の、豊穣の味がした。

気がつくと、冬だというのに手は農園の果物でいっぱいになっていた。

冬に甘みを蓄える梨にみどりのうちから甘いVerde doce, オレンジにみかん、帰路について果物をくちに運ぶのが早くも楽しみになった。

上から眺めた夕暮れが、農園の上をあかく染め、それから、落ちてゆく陽を追いかけるように山頂の村を照らすのをみる。

月は、たしか三日月だったようにおもう。

明くる朝はまだ暗いうちから、主人が車をだしバスの出発まで付き添ってくれた。

人の、純粋なあたたかさに指が、くちびるが、寒さにかじかむわけでもないのに震える。

バスがやってくる。

車を降り、人生でこの村を訪れるのは最後になるかもしれないと思いながら、淡い朝の村に向かってシャッターを切る。

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